名古屋城の歴史と現代における存在

戦国時代の名古屋城

 

那古野城跡

 

金の鯱で有名な名古屋城は徳川御三家の1つ、尾張徳川家の居城として今に伝わっています。
名古屋城のあった場所には元々、戦国時代に読み方は同じで漢字の異なる那古野城がありました。
この那古野城、織田信長の父、信秀がわずかな人数で奪った城として有名です。
そして、織田信長は那古野城で元服し、斎藤道三の娘、濃姫と結婚をしました。
その後岐阜、安土と本拠地を変えた信長によって廃城にされ、江戸幕府が出来るまで復活することはありませんでした。

 

 

豊臣軍から江戸を守る要塞

 

江戸時代の名古屋城

 

名古屋城を復活させたのは徳川家康です。
元々隣にある清洲城は豊臣秀次や福島正則、家康の四男松平忠吉などが収めていましたが、
豊臣包囲網と東海道防衛の2点の理由から家康は名古屋を本拠地として選び城作りを行いました。
これは1610年のことで、大阪冬の陣の4年前になります。
家康の頭にあった最悪のシナリオは豊臣軍が攻めてくることでした。
そのため、大軍を食い止めることができるような要塞を名古屋に築いたのです。
普請を行ったのは城作りの名人で知られる加藤清正です。
城の中心部が敵の銃火器の射程内に入らないように広大な三の丸を設け、大軍の中枢部の進行ができないような作りになっていました。
実際に名古屋城で豊臣軍をと戦うことはなかったのですが、その後も徳川家の重要な拠点として、
家康の九男義直が尾張徳川家として治めるようになりました。

 

 

幾度も危機を迎えた名古屋城

 

現在の名古屋城

 

明治に入ると、名古屋城は廃藩置県の影響で一度取り壊されそうになっています。
それを陸軍の中村大佐が城郭保存を訴え、取り壊しから逃れています。
その後も1891年に発生した濃尾大地震によって表一の門、二の門などが被災しています。
そして最大の被災は1945年の米軍による空襲によるものです。
米軍の投下した焼夷弾によって名古屋城の天守閣と本丸御殿は完全に焼失しました。
今私たちが見ている名古屋城は1959年に再建されたものです。