御城コレクションにも登場する坂戸城について

坂戸城の立地

 

 

坂戸城は新潟県南魚沼市にあった山城です。
直江兼続の居城としても知られています。
坂戸城が建てられたのは14世紀で、室町時代の初期に当たります。
越後の守護、上杉憲顕の家臣、長尾高景の一族が上田長尾氏を称して坂戸城を築いたと伝わっています。
坂戸城は魚野川を挟んで三国街道を見下ろす坂戸山に築城されました。
標高は634mあり、比較的緩斜面ながら、わき水が7合目付近で得られるなど、非常に戦略的価値の高い城でした。
山頂付近の本丸の他、北尾根上に二の丸、三の丸があり、南東尾根の先端には詰の丸と呼ばれる平坦地がありました。
さらに南西には西の丸があり、そこから約2kmの間に100基を越える畝状の竪堀が築かれています。

 

 

要衝の地であった坂戸城

 

坂戸城は越後と関東平野をつなぐ交通の要所として、また経済の要所として栄えました。
しかも当時魚沼には越後随一の銀の産出を誇る上田銀山があり、それを守る意味でも坂戸城は国防戦略上重要な位置にありました。
戦国時代になり、上杉謙信に坂戸城を包囲された城主の長尾政景は謙信に降伏します。
この政景の子が謙信の養子になった上杉景勝です。
謙信の死後、景勝と後北条氏出身の景虎とが跡目争いを起こしたのが御館の乱が起こりました。
景虎の後ろ盾であった北条氏照・氏邦に狙われたのが坂戸城でした。
景勝は坂戸城をよく守り、北条勢の越後への進軍を食い止め、そのことが乱の勝利につながりました。

 

 

主が代わった坂戸城の終焉

 

 

御館の乱の制した景勝は春日山城主になり、側近であった上田衆を重用するようになります。
その証拠に、重要な拠点である坂戸城を側近の中で最も信頼していた直江兼続に任せています。
1582年に侵攻してきた織田信長勢の滝川一益の軍勢と戦った際も、坂戸城は堅固な防御能力を見せています。
しかし、1598年に景勝が会津へ転封となると、坂戸城は越前より代わって入った堀秀治の家臣、堀直寄が任されます。
1610年に堀直寄が信濃へと移されると、坂戸城は廃城となり、今に至っています。
現在、坂戸城の山麓には長尾政景墓所と上杉景勝、直江兼続の生誕碑が置かれています。

 

 

>>群馬県の「石倉城」の情報はこちら